「占い」の落とし穴

個性占星術では、敢えて「占い」という言葉を使っておりません。もちろん占い自体を否定するものではありませんが、占いの「あり方」を捉え違いしている人が、まだまだ多いと感じるのも、ひとつの事実だと思います。

今回は「占い」の落とし穴について考察したいと思います。

まず最初に、私たちが勧める個性占星術は「当たる」「当たらない」という問題ではないと思っています。

例えば、星を読んだ結果、Aさんに「これこれこういう長所がある」と読めたとしましょう。しかし、Aさんがこの個性を全く使っていなければ、それは「外れた」という事になります。または、第三者が見て間違えないなと感じていても、当のAさん本人が、「私にはこういう所はない」と思っていたら、それもAさんにとっては「外れた」と感じます。

例えば、受験生の未来予測をして、受験当日にラッキーな星が来ていたとします。それを期待して、勉強を疎かにしたら受験に落ちてしまった、というようなケースも少なくないかと思います。この方にとっては、予測が「外れた」と写ります。

例えば、未来予測をして、病気に注意と出たとします。これはあくまで「この時期は注意」という話しであって、星に「病気になる」と具体的に出ている訳ではありません。しかし、聞き手によっては「病気になる」と言われたと捉えてしまい、運良くならなかったとしても「外れた」と取るでしょう。また本当になるかもしれない状況を、健康管理で回避する事もできるのです。

このように、そもそも占いを「当たる」「当たらない」と思っている人が多いのが、まだまだ現状なのかと思います。

そして「占い」を嫌っている人の多くに共通点があると考えます。
残念ながら、一般的には占いは「当てもの」だと思われています。そして占い好きの人に、何かに頼っている、つまり他者に依存している人が少なくないという傾向があるからだと思います。

占いで出た結果をあてにして、心の拠り所にします。だからいい予測が出たら、その結果を「信じて」安心をし、自分が望まない予測が出たら、その結果を信じないで、「当たらない」と捉えて拒否しまう人も少なくないかと思います。

わかりますか?この時点で、この方は、占い結果に「依存」しているだけなのです。自分の心の外の何か見えないものに、助けを求めているだけなのです。

この方に絶対的に欠落しているのは、自分の「主体性」です。自分の人生は自分で決めて歩いていくという「努力」です。

占星術に示される星のエネルギーは、長く深く携わる程、確信に変わってきます。しかしそのエネルギーを生かすも殺すも、それは全て、その人の主体性にかかってくるのです。

占星術で星の動きを見て、客観的に自分自身を見つめなおし、自分がどういう道を歩いていくか、決めていくのです。

占星術で読める結果が、自分の心と合致をすれば、それでOKなのです。そしてその先の結果は、自分が心に忠実に行動したか、しなかったかという「自分自身の結果」なのであり、どこまでも「当たる」「当たらない」の問題ではないのです。

よく占星術のホロスコープを、人生の羅針盤と読んだり、人生の設計図と読んだりします。そのままなのです。羅針盤の通りに進むか進まないかで、結果は変わります。設計図どおりに人生を創るか創らないかでも結果は変わります。

全ては「自分」なのです。

でも、この自分を知るための最適なツールがなかなか無いから、自分を見失っている人があまりに多い。自分の外の何かに頼って、すがって生きているだけの人があまりに多い。だから「占い」を嫌いという人の気持ちもよくわかります。

個性占星術は、自分を知る為、人間を知る為の参考ツールとして、占星術を「活用」して参ります。そして精神性を高める為の教育ツールとして成長させたいと願っています。
しかし、それを活かすか、活かせないかは、全てその人次第なのだと思います。

真実はすぐ近くにあります。
しかし、すぐ近くの大切なものほど見えないのが、また人間なのかもしれません。

私たちは、この大切な宝物に気が付き、正しく有意義に活用できる人を、一人でも多く育てていきたいと考えます。