6ハウス乙女座♍️10ハウス山羊座♑️仕事の適正

今回は、仕事というテーマを考えるに重要な、6ハウスおとめ座と、10ハウスやぎ座を比較考察してみます。

どちらのハウスも仕事を示すのですが、6ハウスおとめ座のテーマは「日常生活」10ハウスやぎ座のテーマが「社会性」という一面もあります。
従って、6ハウスは毎日を同じルーティーンワークでコツコツこなしていく仕事、つまりサラリーマンのような雇われ仕事を意味し、10ハウスは自分で経営する立場として、会社役員や、独立した自営業などを意味すると言われています。

そしてこのどちらかのハウスに重要な惑星が入っている場合は、ハウスの示す仕事に適性があるとか、適正がないとかを見ることになるわけです。

ごく一般的な感覚で見ると、10ハウスは社会的に成功しているイメージがあり、6ハウスは大多数の普通の人というイメージになるでしょう。地位や名誉はもちろん、経済的な面や生活レベルでいけば、10ハウスは確かに一握りの成功者という感じです。

でも本当にこのような優劣で考えるべきなのでしょうか?
今回は、この両者の違いを、もう少し深く考察してみたいと思います。

6ハウス乙女座♍️が一番優れていること

まず6ハウスの基本的なポジションを考えてみると、1ハウスから始まった「個人」の成長は、5ハウスにおいて「個性」の自己表現という形で、頂点に達しました。名の通り、それぞれの分野でピラミッドの頂点を極めたのです。
しかし膨らみすぎたエゴを弾けさせ、謙虚になる事を学ばねばなりませんでした。6ハウスおとめ座では、逆ピラミッドの底辺となり、社会を支える立場を学ぶのが目的なのです。

ここでポイントは、ピラミッドの底辺ではなくて、逆ピラミッドの底辺であるというところに、おとめ座の本質が隠されていると思います。

先ほど、一般的なおとめ座のイメージを紹介しました。雇われる側のサラリーマンのポジションは、どう考えてもピラミッド社会の底辺の象徴です。しかしおとめ座の本質は、そうではないのです。

おとめ座さんは、すごく現実的に、現実社会を生きているタイプです。他の星座に比べたらスピリチュアル性とは無縁のように思えるかもしれません。
実際に、コツコツと同じ仕事を単調にこなしていても苦ではなく、それでいて完璧主義。わずかなミスも見逃しません。自分自身に対しても非常に厳しく、自分だけではなく他者のミスも許せないような厳しい一面も。
生活も堅実的で、最低限必要なシンプルで実用的なものばかりを集めて、常に綺麗にしておくというタイプが多いでしょう。
どんな仕事も確実にこなすので、いわゆる実務能力はどの星座よりもダントツに優れています。社内に一人は絶対にいて欲しいタイプですね。笑

ここから、おとめ座の本質を理解していきましょう。
6ハウスおとめ座の対局は、12ハウスうお座です。という事は、おとめ座さんは、度重なる過去世において、宇宙生命の真理をたっぷりと学んできているのです。
うお座さんは、今世で真理を学んでいる立場です。おとめ座さんは先輩という立場だと考えれば分かりやすいでしょうか?

そうです。おとめ座さんこそが、12星座の中で、一番真理を知っている魂を持っているのです。

正解を知っている。だからこそ、自分に厳しいのでしょう。おとめ座さんは高い分析能力がありますが、その分析の基準は目に見える世界の理だけではないはずです。本能的にというか、もはや自然なレベルで答えを知っていて、物事を正しく分析、理解してしまうのでしょう。
だから弱い自分のことも、自分の力の限界も、無意識的にわかってしまうのだと思います。

この世界は、一部の天狗になった人間が、ピラミッドの頂点に立ったとしても、真の平和は来ないのです。むしろ平和から遠ざかるかもしれません。

真実を知っている本当に優れた人は、逆ピラミッドの底辺となり、自分以外の他者を支えていくのです。
釈迦にしても、キリストにしても、その人生は人々を幸せにする為に、自分の身を犠牲にして正義を訴え続けた生き方をしていたのではないでしょうか?どこまでも一人の「人間」としての正しい生き方を実践していたはずです。
しかし死後、後世の人々によって「神」のように扱われ、神格化していきました。人間社会のピラミッドの頂点の存在のように扱われてしまった。こうして真実が歪められてしまったのでしょう。

10ハウス山羊座♑️から学ぶべきこと

ホロスコープにおいて、天頂に当たるMCは、私たち人間の目指すべきゴールと表現されます。MC(天頂)は9ハウスと10ハウスの間にあります。

9ハウスいて座は、哲学や宗教など、高度な学問を学んで、真理を探究するテーマがあります。
10ハウスやぎ座は、社会的地位を得て、人々から称賛されるポジションにあります。
どちらも、ある意味、人間社会においての成功者、完成者と見られることでしょう。

ところが、いて座さんもやぎ座さんも、しっかりとカルマを積み、もう一度「自己」を見直しされることを求められているのです。これは裏を返せば、頂点を極めたと思った場所は、本当の意味でのゴールではなかった・・という事なのでしょうか。

10ハウスやぎ座さんは、社会的地位を得る代償として、正しい感情の出し方を見失ってしまいました。9ハウスいて座さんも、自分が正しいと思い込み、自分の意見した通りに他者が動かないと怒りを出してしまうというカルマを抱えていました。

人間にとって「素の感情」「自然なままの感情」は大切な要素だったのです。

頂点を極めた者が陥りがちな傾向があります。自分は他者より優れていると「慢心」になってしまうのです。これが9ハウスと10ハウスの共通点かもしれません。
慢心になると、それ以上に成長しようという心を失ってしまいます。または自分のポジションを守ろうと保身に走ってしまいます。

実際に、地域の中で優しく親切なおじさんが、政治家になって立場が上がったら、人を見下すようになってしまった・・というようなケースは少なくないかと思います。名誉欲に負けた姿ですね。
貧乏に苦しんで努力の末に、会社の社長になった人が、お金に強欲で遊んでばかりいる姿もよく見かけます。出世欲や金銭欲、物欲に負けた姿です。
このように、ある程度の成功を掴んだが故に、心は落ちていく人も少なくないのです。むしろこれが自然なのかもしれません。

そしてこうした一握りの人達に支配され、コントロールされているような社会に生きているのです。こうした社会が、風の時代で崩壊するのかもしれません。

すべての人が学ぶこと

私たちは、誰もがもう一度、改めて学ばないといけないのかもしれません。
何が真実で、何を大切に生きていくべきか。

宇宙は、私たちすべての人に、偏った個性を矯正しようと課題を与えてくれています。
同時に、様々な個性の人が学ぶ課題は、すべての人へのヒントにもなってくると思います。

占星術を学べば、完璧な人などいない事がわかります。優劣もありません。
みんなそれぞれに個性があり、それぞれに課題があるだけです。

そして自分の個性を活かすだけではなく、他の個性を尊重していく中で、それぞれの中から大切なヒントを学んでいくのです。

個性の時代は、自分の個性を活かすだけの世界ではありません。他者の個性を知り、他者と共栄共存をしながら、新しい世界を創りあげていくのだと思います。